宗谷の歴史(第3次南極観測)

「宗谷」の活躍は実は「南極観測船」だけじゃないって知ってました?

ここでは「南極観測船」として活躍した時期を中心に、長きにわたる「宗谷」の感動の歴史を

ご紹介いたします。

第3次南極観測

 本観測の失敗で、南極の厳しさと"宗谷"の限界を思い知らされた海上保安庁は、それまでの方針を大きく転換し、基地に接近できない場合でも大型ヘリコプターを搭載して航空輪送で業務を遂行できるように、"宗谷"を大改造することとしました。
 搭載するヘリコプターの機種はシコルスキ-S58型×2機、本機は1トン以上ものペイロード(積載力)を誇る力自慢の大型ヘリコプターで、他国の南極観測船でもこれだけ大型のヘリコプターを搭載し運用する例は当時ありませんでした。そこで、解決策として大型のヘリコプター甲板を従来のヘリ甲板の上に増設し、格納庫も小さすぎるので撤去することとしました。

第3次観測以後、航空輸送に活躍したシコルスキーS58型ヘリコプター
初のオブザーバーのメロイ氏(右)と三田操舵長(左)

 こうして大改造された"宗谷"は、三度南極に挑戦するため、昭和33年(1958) 11月12日、松本船長以下92名の乗組員と永田隊長以下37名の観測隊員、初の外国人オブザーバーD.J.メロイ氏を乗せて東京日の出桟橋を出港しました。
 大型ヘリコプターによる航空輸送作戦は見事に功を奏し、昭和34年(1959) 1月14日より2月3日までの20日間に58便の輸送を行い、村山雅美(むらやままさよし)越冬隊長以下14名の越冬隊員及び資材57トンの空輸に成功したのです。

 この第3次南極観測で、閉鎖されている昭和基地をはじめてヘリコプターで訪れた時のことです、隊員達は目を疑いました。昨年、やむなく残してきたカラフト犬の「夕ロ」と「ジロ」が生きていたのです。「夕ロ」と「ジロ」を含む15頭のカラフト犬は1本のロープにつながれて南極に取り残されました。そして、「夕ロ」と「ジロ」だけが厳しい南極の冬に耐えて生きぬいたのでした。"宗谷"は、観測並びに輸送業務を無事終えて、昭和34年(1959)4月13日に東京に帰ってきました。