宗谷の歴史(北の海の巡視船として)

「宗谷」の活躍は実は「南極観測船」だけじゃないって知ってました?

ここでは「南極観測船」として活躍した時期を中心に、長きにわたる「宗谷」の感動の歴史を

ご紹介いたします。

北の海の巡視船として

 南極観測船としての業務を終了した"宗谷"は、通常の巡視船として用いるための復旧工事を昭和37年(1962)6~8月まで浅野船渠にて行いました。
 そして再び白い船体となった"宗谷"は、8月1日より巡視船として北海道に派遣され、持ち前の砕氷能力を生かして北洋海域のパトロールに従事し、昭和38年(1963) 3月からは、正式に北海道の第一管区海上保安本部に所属する巡視船として、北の海で活躍することになりました。
  この当時、過酷な冬期の北洋で着氷による転覆や氷海における遭難など、多くの海難事故や病気などが発生しても、思うように助けに行ける巡視船がないのが実情でした。"宗谷"は、南極で鍛えた持ち前の砕氷能力を生かしてそれまでは困難であった氷に閉じ込められた漁船の救出、冬期の北洋における医療活動、流氷観測などに大きな威力を発揮しました。
 昭和37年(1962)9月、東太平洋上で操業中のマグロ漁船から頭痛を訴えて吐血した重病患者発生の知らせを受け、"宗谷"は緊急医療救助に出動します。途中別のマグロ漁船で発生した盲腸患者を"宗谷"船内で緊急手術した後、吐血した重病患者を硬膜下血腫と診断、横浜へ搬送して病院に収容し一命を救助しました。
 また、昭和45年(1970)3月には、択捉島南方の単冠湾(ヒトカップワン)において操業中の沖合底曳漁船19隻が流氷群に前進をはばまれ、猛吹雪の中で航行不能になり、8隻が遭難し乗組員30名が死亡又は行方不明になるという史上最大規模の流氷海難事故が発生します。"宗谷"は、流氷群を押し分けて砕氷前進し、悪天候をついて捜索救難活動を行って生存者の救出に活躍しました。
 このようにして"宗谷"は、海難救助出動350件以上、救助船125隻、救助人数約1,000名に及び、「北の海の守り神」とまで呼ばれるようになったのです。

南極観測業務を終え、第一管区海上保安本部の巡視船となった"宗谷"

 そして、竣工から40年を経過した昭和53年(1978) 7月、ついに解役(船としての役割を終え引退すること)が決まり、"宗谷"は全国14の港を「サヨナラ航海」して巡り一般公開を行い、多数の人々を迎えて最後の仕事を精一杯勤めました。
 長い汽笛の音を残して、長く親しんだ函館をついに離れ解役の地東京へと向かったのは、昭和53年(1978)9月28日のことでした。

去り行く青函連絡船をバックに、函館における最後の一般公開を行う"宗谷"